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無理

自称「毒舌」のクソ人間

ツイッターでも前からツイートしてる趣旨だけど140字以上で伝えたいから書く。

これはどんな世界に生きていても少なからずいる奴らの話なのだけれど、自称「毒舌」の女、男。まあ性別は特に問わない。例えばその自称「毒舌」と一緒に飲みの席に行くことになったとする。酒が入ってくるとそいつのスイッチがオンになって、フル稼働。

「お前はさー」「あんたってさー」

さっそく、頼んでもいないのに謎の悩み相談みたいなものが始まる。聞いているとだいたいは憶測や自分の狭い世界観のみをモノサシにした、完全にオナニーリプライ。リプライというかそもそもこちらは何の相談も持ちかけていないから、スピーチというか、言ってしまうと完全にクソノイズ。みんな適当に相槌打ってるけど完全に場はシラけてる。

当の本人はそんなことには全く気がついていない。自分は人生経験が豊富で多角的に物事を考察することができるから、刃に衣を着せないもの言いが定評 と勘違いしどんどん斬り込んで行く。

正直、全てが的外れ、何も答えになっていない。いやそもそもこちらは何も相談などしていない。たわいもない悩み話の途中でたまたまぽろっと出てきた自分の人生観、そこを「待ってました」といわんばかりしゃしゃり出てきて、ボロクソ批判が始まる。

最早、毒舌ではなく「罵倒」という形容がピッタリ。

死ぬべきだと思う。

働かないでいると

最近顕著なのが、反応速度の低下。脳が溶けている気がするんだよね。必要な場面で、頭の引き出しから必要な単語などが出てこない。あと人と話すときに変な間ができたり、急に話の趣旨が変わったりしてしまう。最早アスペを疑われるレベル。話している途中に本題を見失ってしまい謎な結論に行き着くことが多いから、話を聞いてくれている知人が混乱したり怪訝そうな表情を浮かべてくる。みんな「?」って感じを出したあと、「なるほど」って一応相槌打ってくれるけど全然なるほどな内容じゃないのは話している自分でもわかってる。意思疎通すらできなくなってしまうのかもしれないね、働かないでいると

友達の価値の相対性

結論から言うとわたしは正直、交友関係が広すぎる人と仲良くなるのが苦手。たまにライン交換するときに相手の友達の数チラッと見え、万が一200とか表示されてると震えるし、300超えてたら卒倒する。ほんとそれくらい友達多い人が怖い。なんで怖いかっていうとのは今から話します。

まず前提として、わたしは交友関係が凄く狭い。ラインは15人くらいしか友達いないし、その人たちのうち実質やりとりするのは3人くらい...とにかくラインの友達も現実における友達も少ない。完全に1人が好きというわけでもないから、たぶん ぼっちなんだと思う。まあそれはとりあえずおいておく。

例えば、相手には友人が99人いたとする。そしてわたしには友人が9人だとしよう。そいつと私は今日初めて出会い、なんとなく仲良くしようよというノリで友達になった。このとき相手の友人の総数は100で私は10である。言い換えれば相手にとって私は1/100の存在、私にとってそいつは1/10の存在。万が一疎遠になった際にダメージが大きいのはどちらだろうと考えてみてほしい。ちょっと短絡的かもしれないけれど、おそらく私の方が精神的ダメージが多いと考えられる。相手にとって私は1%、私にとって相手は10%。

実際の親密度等は考慮せず数字のみに着目するならば、失いたくないという気持ちは私の方がおそらく大きいだろう。つまり友人の価値は、その人の持つ交友関係の広さによって相対的に決定されるものだと思う。だから、卑しくて、クズみたいな発想かもしれないけれど私は、友達の少ない人の方が好きだしなかよくなりたいと思う。

だから何だよ。って感じだね。

勝手に地獄に落ちる人

自分からラインをして、だらだらやりとりをし、なるべく好意を寄せている相手との会話が途切れないように、惰性でひたすら返信される。もうだるくなって途中でぶちられると、「えっ?えっ?嫌われたの?」とか被害妄想をしはじめ、何日かかけて勝手に地獄に落ちていく。そもそも相手は全くあなたからのラインなんて気にかけてないし、何か他意があって返信しなかったわけでもない、寓意もない。純粋な既読スルーをひたすら心理学的に追究し、意味のわからない推測のもとで、地獄の炎に焼かれる人。いませんか?周りに

【死にたい】私の大好きな曲がお蔵入りになる理由

生きてるとめっちゃ楽しいと思う時もあるし(まあ2割くらいだけど)辛すぎて死にたいと思う時もある。8割は後者。スマホとか普及してウォークマンというよりもあいふぉんとかでどこでも音楽摂取できる時代になってから、そういう気分の浮き沈み全てに好きな音楽が関わってしまうことが多い。

例えば、本当に気のあう親友と待ち合わせするときに聴いていた曲。一人旅していたときに聴いていた曲。デートの待ち合わせ前に聴いていた曲、もしくは一緒にディナーしたときにかかっていた曲、いろんなところで音楽に接する。

ここからは恐らく一概に全ての人が共感してくれるわけではないかもしれないからはじめにいっておく。

私が言いたい話をする前提として、「感情と音楽が結びつきやすい人。昔、ある場面で聴いていた音楽をいま再び聴くと、曲を聴いていた自分の感情が生々しいまでに想起され、負の感情が結びついていた場合、その気持ちまで再現されてしまうから聴くことができない」という点がある。

例えば振られるキッカケとなったデートをする前に聴いていた曲があるとする。何でもいいけど、じゃあBjorkのハイパーバラッドにしておく。あー岡村孝子とかでもいいや。それを今一度聴くと、まるで振られたときの心情や相手の表情、雲行き、全てが追体験できてしまう。忘れかけていた頃にアイフォネのシャッフルがハイパーバラッドを選択し、流れ出すとたちまち最悪な気分になるってわけ。勘弁してほしい。

人間ってそんなに頭良くないから、芋づる式の記憶法をしてるらしいね。全て横並びにして覚えているというよりも、むしろあるキーワードとかをきっかけにそこからどんどん関連する情報が引き出される的な話を聞いたことがある。

これがキーワードではなく、五感のひとつである「聴覚」的な結びつきが強い人は私みたいに結構苦労するんじゃないかなと思ってる。

本当に好きすぎる曲に負の感情が纏わり付いてきけなくなるのは本当に辛い。だから私はいつも、あまりいいこと起こらなそうな時はそもそも音楽を聴かないようにしてるし、もっといえば「いつでも捨てられる曲」みたいなのを用意してある。お蔵入りしてもダメージが最小限で済むようにするためにね。

死ぬほど好きな曲を聴いて死にたくなったら本末転倒だし。多分これは生まれつきとか、環境とかいろんな要因でこういうことになってしまうんだろうけど、改善法的なのは今の所見えない。対症療法というか、とりあえず好きすぎる曲はあまり気分の浮き沈みが激しくなるような場面遭遇の前に聴いたりしないようにしてる。まぁそれだけ。

同じような人いるかな...?楽しく生きて生きたいね?ね?

生きたくても生きられない人論

ポジティヴちゃんに、死にて〜とかもらすと時折言われる「生きたくても生きられない人だっているんだよ。」という意味のない説得。いや説得しようとしてるのかもよくわからないけれど。

まずあんたの前で死にたいとか言ってる時点でそこまで死にてえと思ってないことに気づいて欲しいし、死ぬのは謙抑的な手段だからまぁーとりあえずどうして死にたいと思ったのか原因をきいてほしい。それ以外のことには目を向けないで欲しい。余計な問題提起するな。

というかここでめんどくさい奴だなと思ったらその相談しにきた奴と縁切ったらいい、お前はずっとポジティヴシンキングしてろ。以降お前も他人の前で愚痴漏らすなよ。

話戻るけれど、そもそもなんで「生きたくても生きられない人」を引き合いに出すのか全く理解できない。「生きたくても生きられない人」の話を「もう生きていたくない死にたい」と相談しにきてる人に向けてお届けするのは意味不明。「働きたくても働けない人」の話を「もう仕事やめたくてしかたない人」にするのとちょうど同じ感じで意味わからない。両者ともに、相談に対する答えになってないしなんで、視点を変えようとするの。もう生きていたくない死にたいと思ってる人に対して、生きたくても生きられない人の存在という視点を持ってもらうことでなんの気づきを得て欲しいの?「あっ、そうだよね、そんな人たちもいるんだから自分みたいなクソ人間命粗末にせずに現実つらすぎても向き合って生きていくよ」みたいな回答得られれば満足なのか。というか相談の形をとっているけれど実は相談相手であるお前が、その整合性のない論理で死にたがりを説得して、1人の人生変えてやったみたいな満足を得るシナリオがあったんじゃないの。もう何言ってるかわからなくなってきた。とにかく、こんな話をカフェドクリエで繰り広げんなよな。

医学的根拠ゼロだけどセロトニン増えた気がする行動

1. 激しい厨二感溢れる音楽をききながら走る

(できればその途中で、自分は超秀才で容姿にも恵まれ、一流大卒の最強ビジネスパーソンという設定で妄想に耽る)

2.遠出する

(山奥とか、完全に人里から離れた僻地)

3.大声を出す、死ぬほど叫び倒す

(悲惨な感じで死んで欲しい人ベスト3とか何でも)

4.家族を感じる

(あーなんか愛されてるなって実感できるような日常シーンに出くわしたい。家族がヤバイ人は無理。ちなみにわたしは無理だった。死ぬしか無い)

5.あまりおなかいっぱい食べない

(特に炭水化物とりまくると血糖値上がってインスリンが分泌され1時間くらい何もかもどうでもよくなって死ぬからタンパク質多めのもので七分目)

6.現実につながりのあるSNSを見ない

(結婚報告とかマジでどうでも良い旅行の自撮りとかムカつくけどわたしより幸せそうだなという比較によってより絶望感が増す。それは人間のクズとかいうやつあるけれど、そもそも人の幸せを見て妬み嫉みを感じない、むしろ幸せを分けてもらえている的な菩薩所感述べられる時点で、この記事の対象じゃないから消えろ。カフェドクリエでも行ってろ)

7.なんかどうでもいい行住座臥全て日記に記す

(ベタかもしれないし、自己啓発本に書いてありそうでキモすぎるけれど、なんか生きてる感じする。)

以上。まあどれ試そうがいつか人は死ぬ。